小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第33章 想い出のサンフランシスコ
まずは第1章から第32章までお読み下さい。

 スティーブの住んでいる場所は、すぐに分かった。電話帳を開いて、スティーブ・ギレンズという名前から探し当てた。該当する名前は、たった一つしかなかった。場所は市の北東に位置するマリーナだ。ここは、ヨットハーバーが近くにあり、ゴールデンゲート・ブリッジも見渡せる市内で最も風光明媚な場所だ。セクシーでスポーティーなスティーブにはお似合いなロケーションだともいえた。
 スティーブとは、5月に同性愛学のコースが終わってから会っていない。いろいろなことを学ばせてもらった深い感謝と同時に、情熱的に語るスティーブに気が付いたら、激しい情愛までも感じている自分に気付いた。
 彼こそ、自分が試す相手だ。スティーブも自分に兼ねてから関心があったはずだ。だからこそ、自分を彼の講義に誘うまでのことをしたはずだと思う。きっといい反応を示してくれるだろうと確信した。
正午間近になってバスでマリーナに着いた。そこから、歩いてスティーブの住所に向かう。途中の通りで花を売っていた露店があったので、そこで花を買った。名前は分からないが、赤い花だ。男相手に花をプレゼントするのはどうかと思ったが、自分にそれなりの想いがあるということを示す上で必要だと思った。
スティーブの住んでいるところは、アパートの二階のようだ。目の前は、ヨットハーバーで、ゴールデンゲート・ブリッジも間近に迫るほど景色がいい。潮風の香りがぷんとする。
階段で二階に上がりインターフォンを押した。ドアが開いた。すると、現れたのはスティーブではなく違う男だった。バスローブを着ていて、髪の毛はシャワーを浴びたばかりなのか濡れている。
「ハーイ」と男は大きく微笑んで挨拶した。
 誰なのかと思った。とりあえず、秀生は「ハロー、アイム・ヒデオ。こちらはスティーブ・ギレンズさんのお宅ですよね?」と返すと。
「ああ、そうだよ。スティーブに会いたいのか」と男が言う。男は、背が高く、スティーブと釣り合うぐらいにセクシーな外見だ。バスローブからのぞける肉体もボディビルをやっているかのようにがっしりとして筋肉質だ。
「ジョニー、誰が来たんだ?」
とスティーブの声。同じくバスローブを着ている。その瞬間、二人の関係がどんなものであるのかが分かった。秀生は、手に持っていた花をそっと背中に隠し見えないようにした。
「やあ、ヒデオ、どうしたんだい、こんなところまで」
とスティーブが嬉しそうに言う。
「ああ、貴方がマリーナに住んでいると聞いたことがあったので、たまたま立ち寄ったから挨拶をしようと」
「そりゃ、嬉しいね。ジョニー、紹介するよ。彼は僕の大学のコースの受講生で、ヒデオというんだ」
「そうかい、それはよろしく、ヒデオ」とジョニーが握手を求めるので、ヒデオは握手した。
「どうだい、これから、二人でヨットセイリングするところだったんだ。一緒にどうだい?」
とスティーブが是非共という表情で言うので、その勢いに乗せられ「是非とも、ありがとう」と言い返した。
 それから、二十分後、スティーブ、彼のボーイフレンド、ジョニー、そして、ヒデオは、ヨットの上にいた。サンフランシスコ湾の強い風を受け、ヨットは太平洋へ向けて進む。間近に赤い吊り橋のゴールデンゲート・ブリッジが見える。
 これは1937年に造られた鉄の吊り橋だ。世界大恐慌時の景気てこ挙げ策としての公共工事の一貫だったという歴史がある。半島のサンフランシスコ市と北部地方を結ぶ架け橋である。交通の利便性だけでなく、赤い鉄橋という風光明媚さが観光名所という役割も果たしている。時折、霧に包まれた姿も見られ、橋そのものが芸術品になってしまっている。
 今、その橋の下をくぐっている。秀生は車で通ったり、歩道を歩いてみたりしたことは何度もあるが、真下をくぐるということは初めての体験だったので感動ものだった。スティーブが昼食を用意してくれた。ツナ・サンドイッチだった。海上で潮風に打たれながら、壮大な景色を眺めて、ヨットの上でほおばるサンドイッチは、ひときわおいしさを感じさせた。
「お二人は、いい仲なんだね」と秀生が言った。
「ああ、僕たちは誓い合い、いわばメアリッド(結婚)しているんだ」とスティーブ。
「結婚? え、男同士で結婚なんてできるの?」
「いずれ、その権利を獲得するつもりさ。すでに市のドメスティック・パートナーとしては登録して去年、式を挙げた」
と隣に座っているジョニーが言った。
「はあ、だけど、そんな結婚なんて必要なのかな。二人で愛し合っていれば、それでいいんじゃないのかな。何も男女のカップルの真似をしなくても」
と秀生は、素朴な疑問として訊いた。すると、スティーブが、
「愛し合っているからこそ、その証明が欲しい。男女には、その権利が認められ、僕たちには認められない。そんなの不平等だ。かつては人種の違いによって結婚が禁じられていたが、それが差別だと分かって、肌の色の違いにこだわらず結婚ができるようになった。いずれ差別はなくなるものだと信じている。僕たちは、そのための運動をしていかなければならないと思う」
が言った。秀生はさらに素朴な疑問を訊いた。
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テーマ:BL小説書きの日記 - ジャンル:小説・文学

第32章 ゲイ・プライド・パレード
まずは第1章から第31章までお読み下さい。

 この日のレクチャーは実に刺激的だった。生徒の中には、宗教の話のところできょとんとする人もいた。おそらく、宗教観というのは、アメリカでは日本に比べ政治色が強い面がありレクチャーで採り上げるには内容としてデリケートすぎる面がある。秀生にとっては、勉強になり、励みとなる興味深い内容であった。
 レクチャー後、スティーブは、資料とした本を秀生に貸した。本を読んでレクチャーで採り上げたことをより詳しく、また、採り上げられなかった部分も知ってみてはということで是非ともと読むことを薦めてくれた。
秀生は、下宿に戻ると夢中になって読んだ。かいつまんだところは、レクチャーでカバーしているが、それ以外に、驚きの事柄を知らされた。
 日本の男色は、古代ギリシャの成人と少年の間の性愛と似通うところがあるが、日本の場合違うのは、ギリシャが髭が生えることを少年と成人の境としたことに対し、日本の場合は、元服に当たる前髪を剃ったか、そうでないかで区別したことだ。それにより、仮に年齢が十五とか二十歳を超えても前髪を剃らずにいれば、少年役として通せ、実質的に成人同士の性愛関係になったといえる。
 同じ時代、中国や韓国では、儒教の影響もあり男色は異端視されていたらしく、日本を訪れた朝鮮の特使が、江戸の男色を見て、大変驚いたという記録がある。
 日本社会にも、同性愛を不自然だと説く識者がいなかったわけではないが、それでも、少数である。男色が武家の門下生の間で禁じられたことがあったが、それはあくまで、そのことで、門下生同士が美少年を巡って斬り合うような流血沙汰を防ぐためだったといえる。江戸時代の武家の門下生の間には、よくそんな色恋沙汰が存在して、里美八犬伝で有名な滝沢馬琴も当時の噂話として記録を残している。男色は、都市部だけに記録としては多いとされているが、実際のところ、農村など全国的に存在したと考えられる。都市部には男娼の売春宿などがあったため、記録が多く残っているのである。
「好色一代男」の作者として井原西鶴がレクチャーで紹介されたが、井原西鶴は、それ以外に男色大鑑という男色ものばかりを集めた説話集を書いている。いかに男色が、社会においてノーマルなことと受け止められていたかを象徴するものだ。説話の中には、ある男娼が得意客の妻の要請で、布団に隠れて妻の振りをして、得意客と夜伽をさせられ、それが思いのほか快感だった、という話がある。結婚する夫婦でも、妻が夫の男色に対しては大らかであることを物語っている。
 井原西鶴と同じく江戸の大衆文学として有名なのが「東海道中膝栗毛」だが、この物語に出てくる主人公の弥次さんと喜多さんは、ゲイ・カップルという設定である。そもそもは、喜多が弥次の家の居候であるという設定で、弥次は女房持ちであり、喜多は男娼という間柄なのである。
ただ、成人男性であっても三十を超えるとしないものとみなされ、所帯を持つぐらいの年頃には、関心も薄れていると考えられていたという。現代のような成人男性同士が異性のカップルと同等の権利獲得のため、結婚や養子を取れる資格を求めるといった感覚ではなかったのだろう。

 また、男色に対して、女性同士の女色も存在したという。記録としては男色ほどは多くないものの、女性客相手の遊女の売春宿も江戸の吉原にあったと記録されている。
 この本の著者のLeupp氏は、日本史の専門家として、この人類史に稀にみる男色文化が、同じく人類史稀にみる一つの世襲による統治下で二世紀半以上も、封建制度の下、大きな反乱なく続いたことと関連するのではと推測する。
 江戸時代、飢饉などで庶民による一揆などが、しばしば勃発したものの、それが西欧などの王政を転覆させるほどの革命には至らなかった。それは、日本の封建領主が、庶民に対して生活などの束縛が強くなかったためだと考えられる。特に精神的な満足度にも関わる性に関しては、締め付けは同性愛が容認されたほどに自由度が高かった。そこが、キリスト教が価値観の中心に添えられた西欧との違いだったといえる。
 日本は、古来から自然信仰の考え方が強い。中国や朝鮮から仏教や儒教の影響は受けたものの、古来からの神道を基にする価値観は、八百万の神という言葉に象徴されるように、多神教である。それは、つまり自然のあらゆるところに多種多様な神が宿るという考え方なのである。一神教のような絶対的な存在に平伏すというのではなく、その点が寛大で、自然信仰であるがゆえ、人間の性に対しても大らかに受け止める精神文化が脈々と受け継がれてきたのである。
 考えてみれば、神社などには男女の性器を象った「御神体」と呼ばれるものが堂々と陳列されているのを場所によってはみかける。
明治維新後の、西欧への追いつけ、追い越せのスローガンによる、西洋崇拝は、日本の工業化と近代化に貢献したが、それは、古来からの自然崇拝の文化を弱めていく結果をもたらした。
 自然に挑戦する西洋文明がよかったのか。産業革命以来の工業化が広がることにより、豊かになった面、環境破壊が地球規模で進行している。人間が、もっと自然に目を向け、自然を大切にしなければいけない時期に来たのではないか。つまるところ、我々人間も、自然の一部なのだから。自らの自然を大切にしないといけない。
 同性愛を自然に反する行為と糾弾するが、そもそも、自然な性は、多種多様なのである。これをある一定の型にはめ込もうとするから、とんでもない結果をもたらす。それこそ、不自然な行為ではないか。

 
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