小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第10章 耐えられない存在
まずは第1章から第9章まで読んでください。

 秀生は、佐々木先輩に出会ってからこれまでの自分自身について思い返した。自分は先輩をどう見ていたのか。どう思っていたのか。自分を持ち上げてくれるよき先輩、友人としてか。いや、そうではない。そんなこと気付いていたが、認めたくなかった。認めたら、先輩と一緒にいることが息苦しくなる。そして、そんなことをしたら、先輩と顔を合わせられなくなる。それが嫌だった。先輩と常に一緒にいたかったのだ。一緒にいたかったのは、なぜか。そのことを明確に気付かせたのは、部室で先輩が浴びせた罵声であった。
 箱崎秀生は、自分が、男でありながら愛する対象が男である同性愛者であることを自覚させられた。世間では、「ホモ」とか「オカマ」とか呼ばれている連中だ。
 自分は、間違ったことをしている。これは病気である。とても恥ずべきことなのだ。男でありながら男を愛すなどとは、あってはならないことなのだ。世間では異端視扱いされている。当然だ。この世には、男と女しかいない。なのに男同士、また、女同士と愛し合うなど自然の摂理に反する。同性同士では子供は作れない。家庭を築くことができないのだ。人の道に反する行為だ。 
 そんな連中の仲間などになりたくない。絶対に! 絶対に、この病気を治してみせる。自分を変えてみせる。先輩にあんなことを言われ、ひどく傷ついた気分が、日々つきまとう。せっかくの夏休みになっても、何もする気になれない。だが、言われても当然のことを自分はしてきたのだ。とても恥ずべきことを。
 しかし、考えた。どうすればいいのだろう。落ち込む日々が続き、食欲も減退し体重が減り、かなり痩せた感じだ。こんな気分がずっと続くとなると、生きる気力を失い、命さえ危うくなりそうだ。相談しようたって、こんな悩み誰に言えばいいのか。
 
 親友の安倍が、箱崎家を訪ねてきた。最近、電話などかかってきて合コンやアルバイトの誘いをしてくれたが、どれも断ってきた。そんな気分でないと告げてきた。安倍は、そんな秀生を心配して会いに来たみたいだ。
「おい、元気を出せよ。彼女にでも振られたのか」
と冗談ぽく秀生に話しかける。二人は、居間にいた。家には、二人以外誰もいなかった。
「何度も言っているだろう。ただ落ち込んでいるだけさ。夏バテかな」
「じゃあ、その夏バテを解消させるいいものを持ってきてやったよ」
と言いながら、安倍は持ってきたバッグの中から、ビデオテープを取り出した。そして、それをビデオデッキに入れる。テレビをつけ、再生されるビデオの映像を眺めた。
「あー、あー」と呻き声と共に、裸になった女性の姿が映し出された。とても美しい裸体に悩ましいポーズ。興奮した表情。そして、その女性を抱く男性も同じように興奮している。男女とも全裸だ。
 アダルトビデオだ。そんなものをわざわざ持ってきたのか。
「いい女だろう。これを観て興奮しない男は、ホモだと言っていいぞ」
 秀生は、その「ホモ」という言葉にびびっときた。秀生は、ビデオを食い入るように観た。安倍は、とても嬉しそうに観ている。秀生は、訳も分からず観た。この男女のやっている行為はすでに経験済みだ。今更、自分が観たとしてもどうってことない。
 映像は、男の下半身部分を映した。男が自分のペニスを彼女の膣に挿入しようとしている場面だ。ぼかしが局部にかかる。男が尻を動かす映像が流れる。
「やめてくれ」
と秀生は言った。秀生は、ビデオのリモコンの停止ボタンを押した。
「どうたんだよ?」
「いやさ、体調悪くて観る気になれないんだ。こういうのって熱を上げちゃうだろ」
と秀生は言い訳がましく言った。男の尻を動かす場面に興奮した自分が、急に気持ち悪くなったのが、停止ボタンを押した本当の理由だった。

 安倍は、心配そうに「元気出せよ。気分が良くなったら、また、このビデオ観ようぜ」と言い帰った。親友が心配して訪ねに来てくれたのは嬉しかった。そのせいか、少しは元気が出てきた。
 その日の夜、夕食を食べ終わり、部屋に入って寝込んだ後、体が汗くさい感じがしたので、風呂に入ることにした。風呂場に行こうと居間を通り過ぎると、母の清子が、
「秀生、お風呂、湯沸かし器が壊れちゃっているようだから、今日は銭湯に行ってきて」と声をかけた。母は、そう言いながらテレビを観ている。お気に入りのミステリー番組だ。
 顔のひきつった中年の女性が、向かい合う主役の女探偵に向かって話しかける。
「あなたは、私に気があるような振りをして、私の心を掻き乱し苦しめてきた」
「私は、そんなつもりはなかったわ。私が、そんな女だと思っていたの」
「何言っているのよ。結局、私を騙したのね。あの女のように、私が殺したあの女のように」
「やっぱりあなただったのね。あなたが殺したのね。嫉妬して、彼女を、いやその前に、彼女のご主人を」
「そうよ、あの女は私のもの。だから、許せなかった、あんな男に独占させるなんて」
 中年女、同性愛者である殺人犯は、手に包丁を持って、美人女探偵に迫ってくる。
「あなたはなんて卑劣な人なの。今からでも遅くない、自首しなさい」
「自首なんてしないわ。あなたを殺して私も死ぬ」
 そう言いながら、殺人犯は彼女を刺し殺そうとする。女探偵は、中年女の手首をつかみ、揉み合う。危機一髪の場面だ。
「やめろ」と男の声がした。女探偵の相棒の男が警官数人を伴って現れる。
 お決まりの結末。殺人犯の女は、手錠をかけられ、相棒の男が女探偵にねぎらいの言葉をかける。
「よかったな。心配したよ」
 女探偵は、ほっとして相棒に抱きつく。これで一件落着。
 清子は、その場面を観ながら「ああ、面白かった」と言い、テレビのスイッチを切り、台所に向かい、皿洗いをしに行った。
 秀生は、そんな母を見るとおかしかった。とにかく、風呂に入りたいと思い、銭湯に行く準備をした。洗面器とタオル、石鹸などを持ち、銭湯に向かった。

 銭湯に行くのは、数年ぶりだった。前の時も風呂の湯沸かし器が壊れた時だった。秀生は、金を払い、脱衣所で服を脱ぎ素っ裸になり、風呂場に入った。広々とした空間が目の前に迫る。高い天井、ゆったりとした湯船。すでに数人ほど客が入っていた。皆、年寄りだった。
 秀生は、桶で股の間に湯を流すと、浴槽に入った。心を落ち着かせた。家のお風呂とは一味違う。実にゆったりとした空間だ。こんな気分になったのは久しぶりだ。今まで落ち込んでいた気分も次第に晴れ渡っていく感覚がした。
 ガラーと浴室のドアが開く音がした。一人の背の高い男が現れた。男は、堂々として、がに股で歩く。体は、筋肉質で背中に入れ墨がある。何ともヤクザ風の男だ。
 秀生は、体が緊張した。男がヤクザ風だからではない。男の股を見て緊張したのだ。股の間にぶら下がっているもの。タオルで隠すこともなく、堂々と男がぶら下げているもの。まるで自慢するように見せびらかしている。
 秀生は、自分の股の間の変化を感じた。興奮している。ああ、恥ずかしい。ヤクザの男と目が合う。まずい、と思った。ここから出ていかないと、危ない。秀生は、湯船を出るとタオルで股の間を隠しながら、風呂場を出た。体を適当に拭き、急いで服を身につけた。逃げるように銭湯をあとにした。ゆっくり出来ず、短いカラスの行水で終わった。

1993年9月になった。

 キャンパスライフが始まった。
 食欲減退の鬱な日々が相変わらず続く。父や母、姉の奈緒美も心配し始めた。体重も、50キロぐらいとテニス部をやめた直後より10キロ以上も減ってしまっている。家にいると部屋に閉じこもりきり、読書や勉強で忙しいと言い訳をした。家族団らんの場に出ようとしない。食事も一緒に食べず、インスタント食品を買って部屋で一人で食べたり、外食で済ませたりした。というのも、一緒にいれば、「もっと多く食べろ」と文句を言われるぐらい食が細くなってしまったからだ。
 日に日に家族とも友人とも、顔を合わすのがおっくうになっていった。大学に行っても、講義をろくに聴かず、さぼったりすることも多くなった。このままでは必要な単位が取れなくなるのではと自分でも心配になったが、勉強に集中することができない。
 そんなある日、そんな状態から無理して顔を出した講義が、勉強する気力を根こそぎ奪った。それは、一般教養の選択科目である心理学の講義だ。特に心理学に興味があったわけではない。専攻の経済学とは関係ないが、3年の専攻過程に進むために必要な単位数を埋めるため選択した科目の一つに過ぎない。
 講義は、人気があり講義室は生徒で一杯に埋まっていた。何とか開いてる座席を探そうとすると、たまたま最前列の席が空いていたのでそこに座った。
 講義は、若い男性講師が行っている。心理学は、それなりに面白い講義である。人間、誰でも心の問題に関心があるからだ。そして、その日のテーマは、秀生の心の問題に直結する内容であった。
「今日は、異常性愛について講義だ。異常性愛にはいろいろとある。4年前に起こった宮崎勤事件で広く知られる幼児に対して性的欲求を持つ小児性愛。それから、相手が大人でも性的対象が同性である、俗に「ホモ」とか「レズビアン」と呼ばれているものだ。今日は、その同性愛について話してみようと思う」
 秀生は、どきっとすると共に、否応なしに講義に耳を傾けた。
「同性愛は、精神病である。心理学の父であるフロイトも、同性愛についての研究をしている。男性の同性愛者は、幼児期に母親や姉からの異常なまでの愛情の注がれ方から、女性に対し恐怖心を抱くこととなり、それが成長期においての異常性愛の原因となるのだ。また、20世紀に入ってドイツの学者により、母親の妊娠期において過度のストレスを受けたことが原因で性ホルモン・バランスが崩れ、同性愛者の子供が生まれるということが分かっている。例えば、戦時期に妊娠した母親から生まれた子供は、それ以外の子供に比べ、高い割合で同性愛者になると言われている。それは、母親の妊娠期における空爆などのストレスが影響を与えているからだ。同性愛者であると、結婚して家庭をつくるなどの正常な社会生活を送れなくなる。しかし、現在、同性愛には、有効な治療法は見つかっていない」
 真正面で講義する講師とたまたま目が合った。別に自分だけを見ているわけではないと思うのだが、まるで「おまえは精神異常者だ。出ていけ」といわんばかりの視線を与えているように感じた。
 秀生は、居てもたってもいられなくなり、席を立ち、講義室を後にした。

 キャンパスの芝生の上に一旦座り、考え込んだ。母と姉からの異常なまでの愛の注がれ方。覚えがないこともない。中学生まで、母や姉と一緒にお風呂に入ったことがある。普通、小学生まででそんなことは男ならやめるのだが、妊娠期のストレスと言えば、母が自分を妊娠していた時に父が、仕事のことでかなりストレスを抱え母や姉に当たっていたということを聞いたことがある。そのことが原因だったのか。
 ただ、よく分からない。原因はともあれ、自分はそんなことが原因で起こってしまう異常性愛病にかかっているのは確かなことだ。そして、治療法はない。

 その日、自宅に戻ると、やけに騒々しい雰囲気が漂っていた。誰か客が来ているようだ。秀生は居間に行った。父と母、姉の奈緒美、そして、初めて見る男。
「あら、秀生、丁度いいところに帰ってきたわ。私の婚約者の俊夫よ」
と姉が言った。婚約者、どうやら結婚することになったようだ。
「ええ、結婚するんだ。そりゃ、お、おめでとう」
と秀生は、そっけない言葉を返した。姉の年頃を考えると、立派な適齢期だし、姉ならきっといい男を引っ張ってくるだろうということは安易に予想できることで驚くことではなかった。現に、その俊夫という男は、背が高くハンサム、姉と見事に釣り合う男性だ。年齢は姉より少し離れたぐらいに見えた。
 居間で、ソファに座り、5人で団欒となった。秀生も何気なく、その場にいた。大事なことだからいなければいけないと思った。何でも、俊夫という男は、慶応大学を出た総合商社のエリートビジネスマンで、幹部候補として将来を嘱望されている男なのだそうだ。年収も1千万を超えるほどで、結婚相手としては、姉に限らず父と母にとっても申し分ない男だ。ずっとにこにこして感じ良さそうだし、秀生も悪くないと思った。
「俊夫君、こいつが、君の弟となる秀生だ。これから仲良くしてくれ」
と父の英治が言う。俊夫は、微笑みかけ
「奈緒美から君のことはいろいろと聞いているよ。弟ができるのは嬉しいことだよ」
と声をかけるが、秀生は、頷いただけで、浮かない顔をしたままだ。どうもこの雰囲気に乗れない。
「ごめんなさい。ここ最近、秀生、気分がずっと悪いの」
と奈緒美が言った。
「何でもないよ。ああ、よろしくお願いします、俊夫さん」
「お兄さんでしょう」
と奈緒美。
「ちょっと、レポートを書かなければいけないから、失礼するよ」
と秀生は、居間を逃げ出すようにソファから立ち上がった。
「奈緒美の次は、秀生だよな。いい結婚相手を見つけて、親孝行しないとな。期待しているぞ」と父が背後から声をかける。
 
 秀生は、部屋に入ると、ベッドに寝込み考え込んだ。父の言葉がずしりと重くのしかかった。自分は長男だ。この箱崎家を受け継ぐ義務がある。ちょっと、保守的な考えだが、そんな問題に自分が直面する時がいずれ来る。だが、自分には結婚をして子供作り、家庭を築く機能がない。一人前の男ではないのだ。
 どうしよう。これ以上、自分が生きていく価値がないように思える。こんな自分のまま生きていくのは耐えられない。
 それならば、自分の存在を消し去らなければいけないだろう。

第11章へ続く。
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テーマ:連載小説 - ジャンル:小説・文学

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