小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第12章 滑走路
まずは第1章から第11章まで読んでください。

 秀生は、あの日から、精神的にも肉体的にも非常に淡泊な状態が続いていた。男性への性的衝動を感じなくなったのは良かったが、女性へ、その分、感じるようになったかというとそうではない。安倍に合コンに誘われ、何度か参加したが、そこでも興味を引く女性には出会えなかった。
 秀生は下らないことにエネルギーを費やすのは、やめることにした。それよりも大学での勉学に専念することにした。また、卒業後の就職についても真剣に考えるようになった。まだ2年生で就職活動には、早過ぎるかも知れないが、最近はバブル経済が崩壊して、就職も以前のように、引く手数多とはいかなくなったと聞く。「就職氷河期」などという言葉をよく耳にするようになった。就職活動真っ盛りの4年生は、かなり厳しくなっていると愚痴をこぼしている。大卒というだけでなく、大学時代の成績も就職に影響してくるというのだ。
 卒業後が、不安になってきた。ただの大卒というだけでは、就職は厳しいのではないかとさえ思える。東大や早稲田のような一流大学卒業ではないし、大学までの勉学で身につけた教養ぐらいしか売り物はない。
 そんな時見たのが、大学構内の掲示板に貼り付けられていた「MBA留学の説明会」と題したチラシだった。「国際化時代を生き残るためにアメリカの大学院でビジネスを学ぼう」と宣伝文句が書かれていた。
 話しだけでも聞いてみるかと思い、秀生は、説明会に参加することとした。場所は、講義室の一室を借りており、男子女子学生数十人ほどが参加していた。
 一人の中年男性が、MBA留学たるものの説明をしていた。この男性は、アメリカへの大学や大学院留学を仲介する民間業者の社員であった。自己紹介をすると、
「今や、高度成長の時代は終わり、終身雇用、年功序列のような雇用体系も崩れていっています。その上、国際化も進んでおり、ビジネスは英語でできることが不可欠となってきています。また、国際的なビジネスのノウハウも知らなければいけません。その意味でアメリカの大学院でビジネス全般についての勉強が出来るMBA留学は格好のプログラムだといえます。」
と自信ありげな口調で切り出しスピーチを続けた。参加者には、案内パンフレットが配られ、それに則して話しを始めた。
 MBAとは、Master of Business Administrationの略である。日本語に訳すと「経営学修士号」と呼ばれ、アメリカでは、証券マンなどのエリートビジネスマンなら持っていて当然と言われる。ビジネスマンのステータスなのだ。
 日本でも企業の国際化でにわかに注目を浴びているらしい。このMBAがあるかないかで就職の成功率も変わる可能性がある。
 しかし、問題もある。大学院過程にいくのだから、卒業後、2年間も勉学期間を延ばしてしまう。その間に歳をとり就職には不利になる。また、費用だ。アメリカの大学に留学するのだから、費用は学費以外に旅費、生活費がかかる。2年間で、学費は200万円。生活費や旅費は合わせて同額ぐらいかかってしまう。
 合わせて400万円。そんなお金をどうやって捻出すればいいのか。親に出して貰おうかと思ったが、父のことだから、大学院にそれもアメリカに行くなど猛反対するだろう。
 となると、自分で。アルバイトでもするか。だが、400万円も稼げるか。大学を卒業して大学院に9月に入学するまで、約3年間ある。その間なら、時間を費やせばアルバイトでそのくらいは何とか稼げる。
 まだ問題があった。大学院に入学できる水準の英語力を磨くことだ。秀生は、これまで英語を含め成績は良かった。高校時代も大学時代も。だが、それは学校の教科で学んだ程度で、大学院での学習に適応できる水準でないし、また会話力は、ほとんど無に等しい。外国人と話す機会などほとんどないからだ。
 この3年間、留学費用を捻出するアルバイト以外に英語力も磨いていかなければいけない。その費用もバイトの中から自己負担だ。しかしやれないことはない。
 秀生は、頭の中でそんなプランを思いついたが、実際のところ、それだけお金を貯めても実行するかどうかは未定だ。アメリカという国に住むということに不安がある。外国であり治安が悪いところも多い。マスコミを通してかなりの情報が入ってきてはいるものの、習慣や文化もかなり違う。
 どうせ、自分には今、これといってやりたいことがあるわけではない。合コンなどで恋愛を見つけるようなことにも関心はない。それならば、もしかして実行する卒業後の留学プランに向かって邁進していくのもいいのじゃないかと思った。アルバイトをして金を貯めることや英会話学校に通い英語力を身につけること自体、損なことではない。仮に留学をしないことになっても、今後の就職や生活には、有益であることには間違いない。
 とにかく、実行しようと決心した。大変だけど、意識をそのことに集中させるのだ。そうすれば、わずらしいことを忘れられる。

 皿洗い、出前の宅配、引っ越しの運送などのアルバイトを始め、英会話学校に週2回行くことにした。また、積極的にテレビの英会話学習番組を見て、また、英語の雑誌や書籍を図書館で借り、辞書を片手に読みまくった。アメリカのテレビドラマや映画・ニュースのテレビでの放送は、ビデオで録画して時間があれば必ず見た。見るといっても、日本語の吹き替えではなく、2カ国語放送の英語で見るのだ。できるだけその中で意味を把握して分からないところは、日本語の吹き替えに変えて意味を汲み取る。
 ひたすら、ほぼ毎日、アルバイトと英語の学習に明け暮れる日々だった。アルバイトは、数多くの種類をこなした。冬休みは、長野のスキーロッジに泊まり込みでリフトの整備などのアルバイトを。夏休みは由比ヶ浜のビーチ監視員として働いた。高給目当てに工事現場での見張りや商品の訪問販売などもした。旅行や合コンなどの遊びは全くしなかった。なぜか全く興味を持てなかった。父や母や姉は、不思議に思い大学生のくせに遊ばず、なぜこんなにアルバイトや英語の勉強にせいを出すのかときいたが、「特にすることがないから」と適当に答えた。
 4年生になったころには、英語では文部省の英語検定1級、アメリカの留学生用英語試験のTOEFLでは、610点という合格基準を上回る得点をマークするまでになった。4年生の夏休みが過ぎた頃になって、大学院の入学願書受付が始まった。行くか行かないか未だ決めかねていたが、申込は数カ所にした。ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコにある州立の大学院だ。
 アルバイトと英会話を始めて約2年間。貯金も、驚くことに目標の400万円にほぼ近付いていた。
 就職活動は全くしていない。というか、する気が全く起こらなかった。就職状況は、厳しさを増すばかりである。それに、英語の書物、アメリカのテレビ番組や映画で英語を学んでいくうちに留学したい気分にどんどんなっていったのだ。アメリカに行ってみたい。アメリカという国の文化に直に触れてみたい。そう思うようになってきた。
 単に修士号を取って、はくをつけるとかではなく、アメリカという国をしっかりと知りたい。実感として体験したいと思うようになったのだ。
 アメリカ、アメリカ合衆国、世界最大の経済大国で、政治力や軍事力で世界の指導的な役割を持つ。日本にとっては、明治維新の十数年前、黒船来航からの付き合いとなる。その後、第二次世界大戦で交戦国同士となり日本はアメリカに負ける。戦後、アメリカは日本をソ連や中国などの共産勢力に対抗する反共の砦としての役割を課し、同盟国として友好関係を結び、日本の復興援助をしてきた。日本はアメリカの自由主義陣営のメンバーとなり、そのおかげか驚異的な復興を遂げた。日本にとっては、太平洋をまたいだ最も近い外国でもある。マクドナルド・ハンバーガーやハリウッド映画など、アメリカの文化はいやってほど日本に持ち込まれている。
 当たり前のようにアメリカという国を我々は知ってきたつもりだったが、秀生にとっては、改めて学習をして来た気分だった。アメリカの歴史を紐解くと、
 1492年、スペインの航海士コロンブスが、アメリカ大陸に到達して、ヨーロッパ人が入植。領土は、イギリスの植民地となるが、その後、植民地の住民と宗主国の間で紛争が起き、それが1776年の独立戦争となる。独立戦争に勝利した後、植民地総司令官のジョージ・ワシントンを大統領に据え、独立国家としての歴史がスタートする。
 建国後、アメリカの産業を支えたのが、アフリカから強制的に連れ込まれた黒人奴隷達だ。奴隷線に数ヶ月も揺られ、家畜のように押し込まれて運ばれ、アメリカ大陸に到達するまでに三分の一以上は死にいたり、海上に死体が廃棄されたという。
 奴隷達は無償の労働力として、農場などで働かされた。非人道的な奴隷制は、奴隷労働力を必要としない工業化された北部と農業中心の南部との対立を生み。それが南北戦争(1861-65)といわれる内戦を勃発させる。北部の勝利により、奴隷制は廃止される。しかし、奴隷制の廃止は、黒人への偏見や差別を掻き消すには至らず現代にまでその差別との戦いは続く。
 20世紀に入り工業化によるアメリカの発展はめざましく、フォードなどの大量生産自動車で豊かな生活を送る人々が増え黄金の時代を迎える。しかし、それはバブル経済を生み、バブル崩壊後、「世界大恐慌」という未曾有の不況を発生させる。そのことに端を発して、ヨーロッパではドイツ、アジアでは日本が侵略戦争を始め、世界情勢に暗雲を広がらせる。アメリカは、孤立主義という外交政策を取っていたが、ファシズム台頭の脅威に対抗するため、ドイツ・日本と対戦することとなる。
 第2次世界大戦後、勝利したアメリカは自由主義圏のリーダーとなった。新たな黄金時代を迎え、裕福な中産階級を生み出す。
 しかしながら、戦後は共産主義のソ連や中国と「冷戦」という形での新たな対立関係を発生させる。冷戦は、ついにはベトナム戦争という代理戦争を起こし、アメリカは資本主義の南ベトナムを支援するため本国から大量の兵士を送り込む。対する北ベトナムは、共産圏からの強い支援を受けながら、火力で勝るアメリカに密林でのゲリラ戦で対抗した。
結局のところ、アメリカは敗退する。建国以来、最初の敗戦という挫折を味わうことになる。
それでも、アメリカは、現代に至るまで世界のリーダー的存在である。冷戦は、ソ連とベルリンの壁崩壊により、共産主義の終焉で幕を閉じた。結果、世界の超大国としてアメリカのみが残った。世界経済を主導するのはアメリカでしかない。世界の政治・経済はアメリカを中心にして動いているのに変わりはない。
 最も問題がないわけではない。多民族国家ならではの人種問題。60年代の公民権運動により、差別は法律で禁止されたが、見えない形で根強くあり、未だ黒人層の所得は白人などに比べかなり低い水準だ。その黒人層の不満は、一九九二年のロサンゼルス暴動で露わになった。黒人青年が、複数の白人警官に暴行される事件が発生。ビデオテープに事件の模様が記録されていたのにもかかわらず、無罪評決が出たため、黒人が怒りを爆発させ街中で暴動を起こしたのだ。
 都市部の麻薬や犯罪の問題は深刻である。アメリカは日本に比べ、犯罪率がかなり高い。治安のいい居住地域を選ぶべきであると助言を受ける。

 そして、その居住先は、大学卒業間近になって決まった。願書を出した大学の内、一校から合格の通知が来た。「サンフランシスコ州立大学経営学部大学院」からだった。それ以外は、「残念ながら」で始まる不合格通知だった。秀生にとっては、選択肢の中の一つであれば、どこでもよかった。

 サンフランシスコ。西海岸の街。ゴールデン・ゲート・ブリッジやケーブル・カーで有名な観光都市でもある。カリフォルニア州北部に位置する。

 秀生は、大学院進学の決心を家族に話すことにした。たまたま、居間で父、母、姉夫婦、そして、姉夫婦の間に誕生した赤ちゃん、男の子の俊介君がいた時だった。父の英治と母の清子は、初孫を見ながらとても機嫌がよかった。そんな家族団らんの雰囲気をあっとさせることを秀生は言うことにした。
「卒業したら、就職しないで、アメリカの大学院に留学することに決めたんだ。お金は自分で出す」
と話した。家族の反応は、意外にあっさりだった。
 父は、景気の動向を商社マンとして一番よく知っていたためか、大卒の就職状況の厳しさならやも得ないなと理解を示した。一番、反対されそうだったのだが、すぐに理解してくれた。母は、やや心配そうだった。留学そのものには反対でなかったが、外国で暮らすことになるというのが気掛かりらしい。姉の奈緒美と夫の俊夫は、「すごい、偉い」と大賛成で大称賛だった。若夫婦にとってはアメリカ留学は憧れの的なのだった。
 
一九九六年八月

 箱崎秀生は、成田空港にいた。空港の出発ロビーまで、母と姉、親友の安倍が見送りに来てくれた。安倍は、卒業後もいい就職先が見つからず、アルバイトしながら就職先を探すという状況で、こっそりとアメリカ留学の準備をしていた秀生には、かなりの称賛ぶりだった。
「体には気をつけないさいよ。何かあれば、連絡しなさい」と心配そうな母。
「頑張ってきなさいよ」と姉。
「アメリカで大成功しろよ。友人として誇りに思うぜ」と安倍。

 秀生は、税関を通り出国審査を受け、搭乗口ロビーに入った。飛行機は、後一時間以内に飛び立つ。搭乗手続きのアナウンスを待つまでだ。
 ロビーでは、様々な人がいる。日本人、アメリカ人、年老いた人、若い人、夫婦、子供など、皆、それぞれ目的があって飛び立つのだろう。観光、商用、自分のような留学と。そんな人々の集まりで、むんむんとした空気を感じる。準備は万全に整えたつもりだが、何せ生まれて初めての海外旅行だ。これまで外国に行ったことはない。それも観光ではなく、大学院で勉強するために行くのだ。慣れない土地に住み始めるのだ。どんなことが待っているのか分かりもしない。不安感もあったが、同時に期待感もあった。何か自分がいい方向へ変わっていくのではないかと。
 ふとロビーで、美しい金髪の白人女性と日本人男性が隣同士で座って話しをしているのが見えた。楽しそうな雰囲気で夫婦のようだ。アメリカ人と日本人の若いカップルのように見えた。そうか、アメリカには、あんな女性がうようよいるのだ。映画で見るような美しく愛想のいい女性達。
 そうだな、アメリカに行けば、そのことも変わるかも知れない。日本女性ではなく、アメリカ人女性というのもいいのかも知れない。文化の違いがあるからこそ、かえっていい関係になれるのかもしれないのだ。
 どんどん期待感が沸いた。
「皆様、只今よりJAL2便、サンフランシスコ行きは只今より搭乗手続きを始めます。」
 アナウンスと共に、搭乗口へ向かった。搭乗券を差し出し、ボーディング・ブリッジを通り抜け、機内に入る。エコノミークラスの座席を見回しながら、自分の席を探しあてた。窓際の席だ。
 秀生は、手荷物のカバンを座席上のキャビネットに入れることにした。キャビネットを開けようとする。だが、取っ手がなかなか開かない。どうしようかと思った。スチュワーデスを呼んだ方がてっとり早いと思い、辺りを見回した。
「お客様、どうされましたか?」
 さっと振り向くと、背の高い男性が立っていた。制服にネクタイ。パイロットかなと思ったら、それは男性のパーサーだった。
「キャビネットが開かなくて」
と秀生が言うと、男性パーサーは、取っ手をつかみさらりと開けた。キャビネットが開く。秀生が荷物を入れようとすると、パーサーが、手伝うように秀生のカバンを持ち上げる。その時、互いの手と肩がそっと触れ合った。カバンが、さっと中に入った。
 キャビネットの扉を閉める。パーサーは、微笑み狭い通路の中、秀生と背中を触れ合わせながら、立ち去った。
 秀生は、さっと窓際の座席に座り込んだ。とんでもないものを感じ、体が熱くなっている。この3年間、ずっと押さえていたものだ。ああ、気持ち悪い。どうしたということだ。秀生は、シートベルトさっと締め、そして、毛布を体にかぶせ寝込んだふりをした。
 十分後、飛行機は車輪を動かし、滑走路から超高速で飛び立った。秀生を始め多くの乗客の不安と期待を乗せながら。

第13章へつづく。
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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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