小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第15章 バリーという男
まずは第1章から第14章までお読み下さい。

 翌日、バリーは、秀生にサンフランシスコ市内を案内したいと声をかけた。まだ、学期が始まるには数日ある。住まいも決まり、入学手続きもとりあえず済ませた後だったので、とりわけすることもないと考えると悪いことではない。もっと落ち着いてからにしようかと思ったが、さっそく現地住まいのアメリカ人がガイドをしてくれるときたら、断る理由がない。これからルームメイトとして生活していくのだから、観光がてらお互いのことを話す必要もあるのではないかと思った。
 バリーのアコードに乗り、サンフランシスコの坂道ドライブが始まった。サンフランシスコは「坂の街」と呼ばれるほど、起伏にとんだ地形だ。ちょっと坂を上ると街全体を見渡すことができてしまう。ドライブしながら、そんな景色を堪能できる。街並みは、整然としていると同時に、お洒落である。ヴィクトリア朝様式と呼ばれる出窓や壁に装飾をほどこした家々の並ぶ佇まいは、アメリカ西海岸というよりもヨーロッパをイメージさせる。
 アコードは、中心街を通り過ぎた。有名なケーブルカーと共に坂道を上っていく。市内で最も急な坂だ。助手席の秀生は、背中を座席にピッタリとつけ、まるでジェットコースターに乗っているかのような気分だ。バリーは、ギアをD2に変え、坂道走行をする。こんなドライブを市民は日々しているのかと思うと驚嘆であった。
 中心街にある市内で一番高い坂の頂上に辿り着くと、交差点から、海が眺められた。その海岸方面に向かって車は降りていく。丁度そこは、半島を挟む太平洋とサンフランシスコ湾の入り江にあたる海だ。その入り江の上に立つ橋が、かの有名な「ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)」だ。坂を下り終わったところで、その赤い吊り橋鉄橋が姿を表した。
 秀生は、思わず「ビューティフル」という言葉を発した。
「その通りだろう。世界一美しい橋だ。1937年、約60年ぐらい前に出来上がった橋だ。美しいだけでなく、自殺の名所としても有名なところなんだぜ。あの橋から、週に一人の割合で人が飛び込むんだ」
とバリーは、笑いながら言った。
「自殺」という言葉に秀生はぞっとした。
 車は、どんどん近付き、マリーナ地区というヨットハーバーを通り過ぎる。そして、車は金門橋間近のところまできた。バリーは、さっと橋の入り口のそばの駐車場に車を入れ、停めた。
「さ、ここから橋を歩いて渡ろう。景色がすごくいいぞ」
とバリーが車のドアを開けながら話しかける。秀生は、不思議と憂鬱な気分になった。自殺の名所という話しを聞いてから、そんな橋の上を歩くのが気味悪く感じられたのだ。だが、秀生は、車の外に出て、橋の歩道にバリーと一緒に向かった。橋の上は、風が強い。突風ともいえる強い風に飛ばされそうで、飛び降りなくても海に落とされそうだ。
 ゴールデン・ゲート・ブリッジの長さは、約1.6キロ、海面から40メートルの高さに車道と歩道はある。二つの橋脚で支えられている吊り橋だ。全体を赤く塗り固められた特徴のある姿は、世界的に有名だ。
 橋の真ん中辺りで立ち止まり、サンフランシスコの街並みを眺めた。そこからだと、まるで海に浮かぶ島のように見える。丘の上に街が建てられたことが分かる姿だ。起伏に富み、その起伏に、そのまま平地と同じように道の区画がある。だから、急な坂が多いのである。ゴールド・ラッシュの時代、人口が急激に増え無理矢理、街が出来上がったという経緯がうかがえる。でも、だからこそ、ユニークで美しいのだ。
「どうだ。来てよかっただろう」
とバリーが言った。
「ああ、もちろん、ありがとう、バリー。生まれ育った街がこんなに美しいのは誇りだよね」
と秀生は応えた。
「いや、俺は、この街が出身ではない。4年前までは、ロサンゼルスに住んでいたんだ。だが、あの暴動が起こって、ここに引っ越すことになった。俺の生まれ育ったところは、ひでえところだ。黒人にとっては、アメリカはどこも暮らしやすいところじゃないんだが、L.A.は特にひどい」
とバリーが、表情をこわばらせロサンゼルスにいた時までの自身のことを話し始めた。
 バリーは、4年前、日本でも大きなニュースになった「ロス暴動」の渦中にいた。スピード違反で捕まったロドニー・キングという黒人青年に複数の警官が路上で暴行を加えた事件がことの始まりだ。暴行の様子は、たまたま近隣住民によりビデオカメラに収められていたので警官達は暴行罪で起訴された。だが、白人のみの陪審員による評決は無罪であった。そのことに不満を爆発させた黒人住民が起こした暴動事件である。市内随所で放火や略奪が起こった。死者も60名ほど出た。火災で飛行機の離着陸ができなくなるほどひどい状況がニュースで報じられたのをよく覚えている。これがアメリカかと目を疑うような光景であった。

 バリーのフルネームは「バリー・ヘッド」。ロサンゼルスで黒人の中流家庭に生まれた。地元の高校を卒業後、名門UCLAのコンピューター学科に進学。卒業後は、ロサンゼルス市内の企業にITエンジニアとして務めようかと考えていたが、ロス暴動が起こり事態が変わった。
「俺がアルバイトでドラッグストアの店番をしていた時に、ギャング共がバット持って押し入ってきたんだ。同じ黒人だった。ただ、その店の店主は白人だったから標的にされたんだろう。金をよこせといわれたが、俺が出ていけというと、突然バットで俺の頭を殴りやがった。これが、その時の傷さ」
 バリーは、指を差して左耳の上辺りの傷跡を見せた。2針ほど、かすかに縫った跡が残っている。ギャング達は、レジの金を奪い、店のものを片っ端から盗み、その上、窓ガラスを割り、火までつけた。バリーは、頭から血を流しながら、命からがら店を飛び出し、病院まで走ったという。治療後、頭の傷よりも心の傷が深く残り、嫌な思い出と決別するためLAを飛び出すことにしたという。
 同じ黒人の暴徒に被害を受けたが、彼らを憎む気にはなれないという。19世紀に奴隷制が廃止され、1960年代に公民権法が可決したというが、その後も人種差別は社会に根強く残っている。バリーの通った学校は、小学校の時から黒人と白人は同じ教室で授業を受けていたが、休み時間や放課後は人種によってかたまるのが当たり前のような状態だったという。白人も一緒にいる時は、黒人の悪口は言わないが、白人同士になるとさっそく黒人やヒスパニック系などの非白人の悪口を話し出すものだという。
 ロス暴動の引き金となった白人警官の黒人に対する不当な扱いは、実のところ、日常茶飯事だという。黒人は、皆、白人の警官が怖くてならないという。たまたま、ロドニー・キング事件はビデオに収められていたので起訴されるまでになったが、通常、あのような事件が起こると被害者が告訴しても、警官同士で口車を合わせもみ消すものだというのだ。
 黒人の多くは、未だ自分たちは平等に扱われていないと感じている。白人は、白人で黒人が差別撤廃論を盾に特権を主張していると不満を持つ。白人も黒人も能力的には変わらない、白人が優れているというのは偏見だとメディア上で有識者が説きながらも、知能テストの結果などを基に白人の優越性を唱える本が出版されベストセラーになったりする御時勢だ。表だって偏見は言わないものの、内心は人種の融合など望んでいないのがアメリカ社会の実情だという。
 そんな話しを聞きながら、秀生はしんみりとしてきた。重い身の上話を突然、聞かされ、まだ知り合って間もない自分がどう反応していいのか分からなくなったのだ。そんな秀生の気持ちを察してか、バリーは言った
「ああ、すまないな。暗い話、聞かせてしまって。だが、俺はここに越してきてとても幸せだぜ。LAは、どうもぎすぎすした雰囲気があってな。その点、ここは違った人同士が仲良くできる雰囲気が感じられる。多分、坂の多い狭い半島にいろんな人種が混在している土地柄だからだろう。LAみたいに広過ぎないし」
 バリーは気分一転の笑顔の表情を見せた。
「そうだ、これからフィッシャーマンズ・ワーフでシーフード食いに行こうぜ。美味しいぞ、スシもあるぞ」 
 バリー・ヘッド、彼は悪い奴ではないなと、秀生は思った。

第16章につづく。
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テーマ:自作BL連載小説 - ジャンル:小説・文学

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