小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第25章 同性愛とは
まずは第1章から第24章までお読み下さい。

 同性愛、homosexualityという言葉を聞いて皆、どう反応するだろうか。罪深い、病気、異常なことであるというとてもネガティブな響きのある言葉だろう。そんな同性愛的な志向を持つ人々を社会では、ホモセクシャル、ゲイ、女性同士の場合はレズビアンと呼ぶ。そして、そのような人々は蔑まれ、偏見と差別の対象となっている。そもそもホモセクシャルという言葉自体、19世紀にドイツの精神医学者が、病気と決めつけて作り出した言葉なのだ。

 さて、そんな同性愛者に対する偏見の数々を解剖してみよう。

1. 同性同士の性行為では子供が作れない不自然な行為だ。このまま社会に同性愛がはびこると、人類は死滅してしまうのではないか。

 そもそも人間は生殖のためだけに性行為をしているわけではない。たいていは快楽を目的としてしているのが常だ。この社会のすべての人々が同性愛者であるわけではない。また、子供を作り、ただ人口を増やすだけのことが、人類のためになるとは限らない。昨今は地球の人口が増えすぎ、21世紀後半には人口が地球のもつキャパシティを超えてしまう恐れが叫ばれている。そもそも、子供を作れるか作れないかで人間の価値を判断すると、異性愛者でも子供を作らない、または、作れない人々を差別する意味にもなり、ナチスのような優生保護論理を体現する意味で危険な考え方といえる。各個人の選択の自由をないがしろにする考え方でもある。

2. キリスト教の聖書では、罪深い行為として同性愛は禁じられている。

 信教の自由が認められた社会においては、キリスト教は、多数ある宗教の一つに過ぎない。また、キリスト教徒の中には、同性愛者でありながら、信仰を続ける者もいる。確かに聖書には「同性同士で横たわるものは死刑に処されるべし」という文言があるが、同時に「混毛の衣類を着てはならない」とか「同じ畑に異種の作物を植えてはならない」など、現在では、およそ通じない戒律が数多く見受けられる。聖書、そのものは中世になって編纂されたもので、創始者のイエス・キリスト自身が、同性愛に関して述べた記録はないので、キリスト教は同性愛を禁じているとはみなされないとする考え方もある。

3. 同性愛は精神異常ではないのか。

 かつてはそうだった。だが、1975年にアメリカでは精神医学会と心理学会が、同性愛を精神異常ではないという認定をしている。また、1990年にはWHO(世界保険機構)が同性愛を異常性愛ではないという認定を下しており、現在では病気とは扱わないようになっている。
 それではなぜ、人は同性愛者になるのかという問いかけがあるが、それに対しては、人はなぜ異性愛者になるのかという問いかけと同じ答えが用意される。そんなことは、分からないということだ。全人口において同性愛者の占める割合がどのくらいかというと、2%、5%、10%と諸説あるが、実際のところ、そのような調査をしても、正確な回答を得られることは難しい。「あなたは同性愛者か」と問われ、「そうだ」と答える人の割合は、本当に同性愛者である人々の中でも、極少数だ。正直に答えることによる不利益を考え、たとえ匿名でも正直に回答しにくい場合がある。
 これまで人が同性愛者になる原因が議論され、育った環境のため、また、母親の妊娠中のストレスによるものなどという説が流されている。
 有名なのは、19世紀、オーストリアの精神医学者で心理学の祖といわれるジークモント・フロイト博士の男性が同性愛になる原因が、母親が過剰なまでに愛情を注ぎ、女性に対する恐怖症が植え付けられた結果、同性愛者になるという説だ。フロイトと聞くと、そうなのかと思いがちだが、実際のところ、フロイトの理論は現在では数多く否定されている。この男性同性愛者の母親説に限らず、例えば、女性が幼児期に性的な虐待を父親や叔父などの親戚の男性から受けたと主張するのは、女性の、親近者と恋愛感情を持ったことによる妄想から発せられたものであるという説だ。かつては、親近者の間で性的虐待などあり得ないと考えられていたが、現在では大いにあり得ることだと分かっている。
 また、母親の妊娠中のストレス説は、共産勢力下にあった東ドイツで出されたもので、空襲時に妊娠していた女性から産まれた子供が、他の子供より高い確率で同性愛者になるという調査結果であった。だが、この調査自体、信憑性が疑わしい。そもそも、同性愛を異端とする共産主義体制の中で、自らを同性愛者だと名乗る被験者がどれだけいたかという点だ。むしろ、同性愛は異常性愛であるという印象を植え付けるための結論ありきの実験であった可能性が高い。

 どんな名の高い医師や学者であっても、その時代の政治体制や世相に反した論を述べたがらないのが世の常である。研究調査する科学者といえ、人間である。中立的な科学などあり得ないものと心得るべきだ。多くの人々は、それを真に受け、間違った情報により、偏見を抱き、偏見の対象となった人々は、自己否定をして生きていかなければいけない苦しみを味わうことになる。

 さて、そんな偏見と差別を覆すため、アメリカでは同性愛者の解放運動が20世紀後半になって展開された。口火を切ったといえるのは、1969年6月ニューヨークのグリニッジ・ビレッジ地区で起こったストーンウォール暴動だ。当時、ニューヨークの警察は、ストーンウォール・インと呼ばれるゲイバーに対して嫌がらせともいえる強制捜査をしばしば行っていた。それはバーが違法経営を行っていたというだけでなく、同性愛者が集う場所だったという理由からだ。だが、その日、いつものように強制捜査で逮捕された客が警察に対し反撃を行い、周辺の同性愛者たちも同調。逮捕された仲間を救おうと警察署に向かい暴動騒ぎを起こしたのだ。
 その事件後、同性愛者たちが自らの権利向上と差別撤廃を訴え、運動組織を立ち上げ、当時の公民権運動の気運に乗って、全国に同性愛者解放運動を展開していった。翌年6月、ニューヨークにおいて全国で初めてのゲイ・プライド・パレードが開催された。

 そのニューヨークの運動は、西海岸の街、サンフランシスコにまで飛び火した。それは、一人の男、ハーベイ・ミルクによって口火が切られたといってもいい。サンフランシスコは、そもそもから同性愛者の集う街であった。1849年のゴールド・ラッシュにより多くの金鉱掘りがこの街に押し寄せたが、その多くが男性だったため、同性愛は大ぴっらな行為とみなされ、ゴールド・ラッシュの後も、同性愛者のメッカのような街として世界中の注目を集めるようになった。
 第2次世界大戦後、街は、同性愛者であったため軍隊を除隊された元兵士たちが故郷に帰るよりも仲間が多いこの場所に集うこととなった。だが、サンフランシスコといえども、同性愛に不寛容な当時のアメリカ、カリフォルニア州の一部である。カリフォルニア州では、同性愛行為を禁ずる通常、ソドミー・ローと呼ばれる法律が施行されていた。1975年にこの法律は廃止される。
 ハーベイ・ミルクは、1930年ニューヨークのユダヤ系の家庭で産まれ育った。第2次大戦中は海軍に従軍。戦後、証券マンなどの仕事をしていたミルクは、1972年サンフランシスコに移住、ゲイが多く住むカストロ・ストリートでカメラ店を営む。その後、市政執行委員の選挙に立候補するなど、同性愛者解放のための政治活動を展開することになる。当初、落選続きであったが、1977年、選挙に当選。ゲイであることを公言した全米で最初の政治家となる。差別と偏見に闘う活動を始める。
 翌年、カリフォルニア州では、同性愛者の教師を公立学校の職に就かせない条例の住民投票が提案された。ミルクは、もちろん反対の立場であった。ミルクは、条例の通過を阻止するため賛成派の人々と公開討論を行った。賛成派は、児童を性的虐待から守るためだと主張したが、それに対し「児童の性的虐待は異性間で行われるケースの方が多いではないか」と反論。また、同性愛者の教師に教わった子供が同性愛者になる恐れがあるという問いかけに対しては「私は異性愛の両親の元で育った。日々接するメディアは、同性愛などを存在しないかのような扱い方だ。なのに私は同性愛者になった。もし、教師を子供たちがまねて育つというのなら、そこらじゅう、尼さんだらけになるのではないか」と反論した。実にばかげた論理で人々に謝った偏見や恐怖心を植え付ける保守派に堂々と立ち向かった。
 この州住民投票は、ミルクの運動の結果、当時のカーター大統領の支援も受け反対多数で否決されることになり解放運動の大きな成果となる。その後、ミルクはサンフランシスコ市条例として同性愛者に対する差別を禁ずる条例を可決させる。
 しかし、彼の輝かしいキャリアは長続きしなかった。1978年11月、ミルクは市議会議事堂内で、ミルクと対立関係にあった保守派の市政執行委員ダン・ホワイトにより、市長と共に銃弾を受け暗殺される。ホワイトは、市政執行委員を一度辞職した後に復職を市長に願い出たが拒否されたことが殺意の要因とされ、復職に反対したミルクに対しては、かねてからの対立で生じた恨みからの殺意であると推察された。
 ホワイト氏は殺人罪で起訴されたものの、わずか8年の刑を言い渡される。殺されたのがミルクであったからそのような判決が言い渡されたと思われ、市の同性愛者を怒りに駆り立て、市議会議事堂のガラス扉が破壊され、火焔瓶によりパトカーが焼かれるなどの大暴動に発展した。ホワイトは、1985年、出所後、自殺した。
 暗殺される前、選挙に当選した後、ミルクは自らが暗殺されることを予期して、テープに遺言を残していた。「きっと自分は、自らに自信を持てず、欲求不満の矛先を弱者に求める輩に暗殺されるだろう」という言葉で始まり、「もし、銃弾が自分の脳を貫くことがあるのなら、その銃弾で(同性愛者であることを隠さなければいけない)クローゼットの扉を壊してくれ」、と言い残している。
 ハーベイにとって、同性愛者解放運動は、全ての虐げられた人々に対する運動にも近かった。黒人や自らの出自であるユダヤ人の権利擁護運動にもつながると考えていた。ユダヤ人にとってのホロコーストと呼ばれる迫害の歴史は、実をいうと、同性愛者にも大いに関連する。第2次大戦中、ナチスドイツにより600万人のユダヤ人がアウシュビッツなどの強制収容所で拷問やガス室で虐殺されたといわれているが、その他にロマ族(ジプシー)や身体障害者や同性愛者も虐殺の対象とされた。約20万人の同性愛者がナチスにより虐殺されたのだ。

 スティーブは、レクチャーの他、写真やビデオ映像を使って、これらの事柄を説明した。講義が終わり、秀生は思った。自分は異常ではない。異常だと思い込んでいたのだ。そして、自分は黒人、ユダヤ人、身体障害者など虐げられている様々な人々の一員である。
 そうだ、自分は一人ではない、仲間がいるのだ。

第26章へ続く
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