小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第26章 同性愛ISSUE
まずは第1章から第25章までお読み下さい。

 次の週、スティーブは、同性愛にまつわる様々なissue(社会問題)の数々について語った。まずは、何と言っても差別の撤廃だ。同性愛者であるということが分かれば、否応なく差別を受ける。雇用においての差別が典型だが、その際たるものは軍隊だ。アメリカ合衆国軍では、基本的に同性愛者を入隊させない規則になっている。それは、公言しているかどうかではなく、そうであることが分かった時点で除隊の処分を受ける羽目になるのだ。入隊時に、同性愛者ではないと明言しなければいけないことになっている。
 その他の職業でも、同性愛者であることが発覚して解雇されたりするケースはあり、それが違法でないと認定されることも多い。地方自治体においては、そのような差別を禁ずる法律や条例が施行されているが、1997年時点では、連邦政府やカリフォルニア州にはなく、そのような法案を提出すると、差別撤廃の法律は同性愛者に特権を与えることになるという実に理不尽な反論に出くわす。特権ではなく、差別されることを防ぎたいだけなのだ。サンフランシスコでは、すでに市条例で雇用差別を禁じているが、所詮はサンフランシスコ市内に限られたことだ。
 また、州法で歴然と同性愛行為そのものを禁じている南部の保守的な州もあり、それはソドミー・ローと呼ばれ、同性同士で仮にプライベートでも性行為を行っていたことが発覚すると、自然に反する行為をしたということで罰せられるのだ。自由な国にふさわしくないと思われるが、このような法律は、1997年時点で連邦最高裁でも合憲とされているものだ。
 次に、偏見をなくしていこうという意味で、学校での性教育において、同性愛をきちんと子供たちに教えようという政策の実施だ。多くの同性愛者は、子供の時から、自らの性的志向に気付き、それが世間一般の価値観と合わないことから、恐ろしいまでの苦しみを味わうことになる。それを軽減していこうというものだ。また、それを教えることによって、同性愛者でない子供たちも、社会に同性愛者がいることを認知して、偏見を持たず、対等に接することができるようになるというものだ。
 もちろんのこと、このことには反対論が根強い。何よりも子供たちの親から反発がある。性教育そのものは、異性愛に関しては、性病感染や妊娠防止のため、理解を得られて定着しているが、こと、同性愛に関しては不道徳だとみなす親たちが依然多いので、教育のプログラムに加えることに同意が得られない。また、何とか教えたとしても、異性愛ほど明白に教えることが出来ない面がある。例えば、こんな事件があった。
 ある小学校で、レズビアンのカップルが、自分たちのことを理解して貰おうと授業で話しをしにいった。興味津々な子供が、そのカップルに「あなたは男になりたいの?」ときかれ、カップルの一人は、「男になる必要はない。私はパートナーとする時はディルドーを使っている」と答えた。そのことを知った親御さんたちが仰天して、その授業をした教師の資格停止を教育委員会に申し出たのだ。
 異性間の性行為であれば、かなり際どいことも子供に教えても問題にならなくなったのだが、同性間だと、それは不謹慎と扱われる。際どいこと抜きに性教育など不可能だ。しかし、未成年者が関わることなので非常に難しい問題ともいえる。
 差別の撤廃や、性教育などで、同性愛が認知されるようにのぞむことは、最終的には異性愛者のカップルと同等の権利を保障することにつながる。つまりは、結婚をする権利だ。結婚を定める民法は、各州の所轄になっているが、1997年時点で同性同士の結婚を認めている州はアメリカにはない。そのなかで、稀な例外が、同性愛解放運動の盛んなサンフランシスコで、それは市の条例によって同性同士のドメスティック・パートナーシップという結婚に準ずる身分保障を認めている。だが、これは形式的なものといわざる得ない。保険の加入や、パートナーが入院した場合の見舞いや介護による欠勤など、異性間の結婚で認められている一部の権利保障を認めているが、結婚というには程遠い。
異性同士が結婚をすれば、次に来るのは、子供の養育だ。異性間では、子供は自然に産み出すことが出来る。だが、同性間では生物学的にできない。そうなると養子を迎えるしかない。だが、法的には養子縁組は、異性間の既婚カップルでしか認められない。その他の場合は、シングルの大人が保護者となって迎えるということしかなく、同性カップル両方を子供の両親として認めることにはなっていない。片親だけに血がつながっている場合でも、もう片方は、異性でない場合は、結婚ができないので、親としての養育権を共有できないことになる。
 もっとも、同性カップルの養子縁組は、デリケートな問題だ。乳幼児から預かるという場合であれば、子供の発育にどんな影響があるのか、心配する声が根強い。いずれにせよ、社会の偏見が根強いのだから、いくらカップルに覚悟が出来ても、子供という別人格の問題である。まだまだ、議論を深めなければいけない問題だろう。

 秀生は家に戻った。すると、久しぶりにアマンダに出会った。そして、バリーは、アマンダが、ここにしばらく、場合によっては、より長くここに同居することになると告げた。何でも、アマンダは、バリーとの関係を父親のキャリントン氏に話し、そのことで大げんかになって、家を出ることになったというのだ。親子の関係をほぼ断絶したと語った。
「ダディに言ってやったわ。私は、あなたのようなレイジストを父親とは思わないって。それに、私は、彼が黒人だから好きになったのではない、彼がすばらしい人だからよ、て」
とアマンダは言った。
 二人とも大人だ。もう結婚を考えているらしい。父親に祝福されなくても、愛を貫く覚悟はできている。

 翌週、スティーブの講義のテーマは「カミング・アウト」についてだ。カミング・アウトというのは、飛び出すこと、を意味する。どこから飛び出すかというと、クローゼットと呼ばれる自らの殻である。偏見の強い社会に自らの真の姿をさらすのだ。つまり自分がゲイであることを公言することだ。
 誰に対してか、身近に考えられるのは、家族、友人、職場の同僚だ。政治家であれば、有権者に対してである。芸能人であれば、自分のファンに対してだが、メディアでの知名度を考えれば、自分を支持する人、しない人にかかわらず、世間一般が対象になる。
 カミング・アウトをすれば、自分の周囲の環境を劇的に変えてしまう覚悟をしなければいけない。家族、友人、同僚、世間から縁を切られる。仕事を失う。信頼を失う。そんな仕打ちに耐える覚悟をしなければいけなくなる。皮膚の色や性別の違いは、隠したくても隠せない。だから、クローゼットに隠れることなどできないが、同性愛者であることは、言わなければ分からないので、ほとんどの同性愛者は異性愛者のふりをしながら、社会に安住して暮らしている。同性のパートナーがいても、公の場でキスや抱擁をするような行為は見せびらかさない。
 いくら、同性愛者であることを自覚し、そのことを自ら受け入れても、社会に対しては自らを偽りながら生活していかなければいけない窮屈さに耐えなければならない。真の解放は、社会に自らの身をさらして、理解を得ることだ。
 講義の参加者の中には、カミングアウトをした人もいて、各々の体験を語った。家族や友人から決別された話しもあれば、何ら、変わらずいい関係のままでいるケースなど様々だ。サンフランシスコという場所柄から、同性愛に対しての理解は深い方だが、それでも、はっきりと縁を切られてつらい思いをしたという体験談を聞かされ、秀生はぞくっとした。
 自分もいずれしなければいけないのか。ずっと秘密にし通せないかもしれない。その時のことを考えたが、いい反応はのぞめないと秀生は感じた。日本にいる家族、友人、皆、仰天して、嫌悪感を抱き、縁を切られるのが容易に想像できる。日本社会では、同性愛に対する理解は全くない。
 ふと思った。今、同居しているバリーとアマンダは、自分をどう思うだろう。ルームメートの秀生がゲイだと知ったら、どう反応するだろう。彼らは、そんな自分が同じ家で同居していることをどう感じるだろうか。
 わざわざ、話すこともないかもしれない。アメリカ人は互いのプライバシーを重んじる。それはルームメート同士でも同じだ。部屋は別々だし、シャワーやキッチンの使用など生活のルールは互いに邪魔にならないようにしっかり守っているのでトラブルはない。
 だが、秀生は二人に自らがゲイであることを言わざる得なかった。なぜなら、二人はとっても親切でいい人達だからだ。アマンダが一緒に住むようになって、秀生は、邪魔になったのではないか、他のところに移るべきではないのかときいたが、それは構わないと言った。そもそもはアマンダが勝手に押しかけてきたようなものだし、秀生が大学院卒業まで部屋を借りることにする契約がある以上、責任持って貸し続けるのが自分の義務だとバリーは言った。もし、不便をかけるようなら、自分たちこそ出ていくべきだと主張して、実に責任感がある。
 だが、自分の存在が仲むつまじいカップルにとって邪魔になっているのは明らかなことだ。一つ屋根の下に、結婚を前提として付き合っている男女と独身の男が同居しているのだ。だが、そういう理由で、自分が出ていくのは、かえって気が引ける。彼らにかえって気を遣わせてしまうのではと心配になった。
 そうだ、ならば、ここでカミング・アウトを試してみてはどうかと、秀生は考えた。そのことを話して、彼らがゲイと同居など嫌だと考えるなら、すんなりと出ていける。
 よき友人という関係にはなれないかもしれない。でも、それならそれで、すっきりするというものではないか。日本に帰って、いずれ辛い思いをすることの予行演習と思えばいい。秀生は二人にカミング・アウトする決心をした。

第27章へつづく。
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テーマ:自作BL連載小説 - ジャンル:小説・文学

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