小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


プロフィール

advocate

Author:advocate
東京在住、30代独身男性。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


第31章 男色の歴史が意味するもの
まずは第1章から第30章までお読み下さい。

 江戸時代にも男色が続いた。その象徴的な事例として挙げられるのが、1603年から1867年の2世紀半に渡る統治を行った徳川将軍だが、これは世襲で引き継がれ、15代に及ぶ、その15代の内、少なくとも7人の将軍は、男性の家来との間に男色的な間柄があったと記録されている。
 特に有名だったのが3代目の将軍、家光である。家光といえば、諸国大名を江戸に年毎に通わせる参勤交代という政策を実行して国家の統一基盤を作ったこと、鎖国といわれるように外国の侵略から日本を守る政策で、当時、次々に植民地化されていくアジアの中で独立を守る基盤を作り得たことで、徳川幕府の統治の基礎を築いた人だ。言い方を変えれば、明治維新後にも続いた統一国家日本の基礎を築いた優秀な人物でもある。
 だが、その家光は男色将軍の代表格として歴史の記憶に残っている。家光の乳母であり、お目かけ役の春日局は、家光の男色に悩まされた。城内には、大奥といわれる女中や側室の住む場所があり、そこから好きな女性を将軍は夜伽の相手として選べたのであるが、家光は見向きもせず、常に小姓と呼ばれる男性が相手役であった。そのこと自体は、武家の伝統として恥じることでもなく問題なかったが、将軍家にとって問題なのは世継ぎができないことであった。
 また、家光は将軍でありながら「受け」を好むタイプで、年上の家来を相手に、自らは挿入を受ける立場の役に回った。
 もっとも、晩年は、女性を好み、世継ぎをもうけることをし血筋を継ぐ役割を果たしたものの男色で結ばれた家来との絆は深く、家光の死後、重臣が後追いする形で殉死を遂げた。
 だが、そんな男色は、武家に限らず、庶民レベルでもみられ、そのことを象徴するのが、江戸時代の大衆文学の大御所、井原西鶴が書いた作品である。
 井原西鶴で代表的なのは「好色一代男」という題の官能小説である。これは、世之介という大商人の御曹司が、夜伽事に夢中になり全財産を費やすほどまでに道楽にふける生涯を描いた当時の性風俗を代表する物語である。その大胆な道楽ぶりと、事細かな性描写が特徴である。
 そして、この小説の冒頭には、世之介という人物を紹介する文として「生涯にわたり3225人の女性と725人の男性と関係を持った」と記されている。それは、当時の男性の性的志向の典型を表しているのではないかと推測される。つまりは、当時の男性は、ほぼ5対1の割合で女性と男性、両方と性的な関係を持つことが普通のこととされていたのではないかと。江戸には、女性に限らず男性の売春宿が存在していたことが記録されている。世之介が、男娼と交渉を持った話しが好色一代男には綴られ、その男娼は二十四歳まで、日本中を回り男娼として暮らしをしてきたと語るのである。
 大衆文学と共に、当時、春画と呼ばれた絵集にも、男色は描かれており、男性同士の性行為が、ありのまま描かれている。主なものは売春宿における客の成人男性と、相手をする男娼で、成人男性が大きくなったペニスを前髪を剃っていない少年の肛門に挿入させようとしている場面だ。
 江戸時代の男色には、主に2タイプが存在したという。一つは、少年に女装をさせて、男女の役割をまねて両者が関係を持つこと。もう一つは、一方が兄貴分、もう一方が弟分という年の差が離れた男同士が肉体を含めた熱い関係になることだ。これは「義兄弟の契り」と呼ばれた。当然、兄貴役が挿入をし、弟役はそれを受ける立場となる。
 面白いことに、この男色の関係は、歌舞伎の演目に多数あり、また、その演目が生まれたことが、江戸時代の男色文化の形成に寄与したといえる。
 歌舞伎といえば、男性のみの舞台劇と思われがちだが、江戸時代の初頭は女性も役者として出演していたが、女性の役者を巡っての血みどろの争いを誘発し、それを防ぐため、お上により歌舞伎は女優を禁止され、その後、女役を若い男性の役者が演技ずることになったが、その男性をめぐり、またもや血みどろの争いが起こり、歌舞伎の演目では女役そのものが禁じられるようになった。それにより、色恋沙汰の演目といえば、男色がテーマになったのである。男色の心中ものが演目とされ好評を博したといわれる。
 欧米では、中世以前に罪悪として禁じられていた男色が、日本では近世の江戸時代までノーマルな性的行為として容認されてきたということだ。これは驚きだ。
 だが、どうして、それほどまで男色に寛容だった日本社会が、現代に至るまで変わってしまったのか。そのことに大きな疑問を感じる。何よりも、秀生を始め、日本人の多くが、そんな歴史があったことを知らない。学校で教えられたことがないし、テレビや映画の時代劇に男色を思わせる場面など出てこない。
 
 それは、明治維新以降の西洋化に大きな影響を受けたものと思われる。1850年代のアメリカからの黒船来航を受け、日本は、これまでの鎖国政策を転換せざる得なくなった。欧米列強を含めた諸外国に門戸を開き、同時にこれまでの封建的な政治や社会制度を改廃し西欧を真似した近代国家を創設した。
 その過程で、男色文化は非文明的で野蛮なものとして忌み嫌われるものとみられるようになったという。それは主にキリスト教を信条とする西洋人の価値観にそぐわなかったから、それに合わせるために当時の支配階級が指導したものだと思われる。法律で禁じられることはなかったが、西洋の精神医学も採り入れられ、同性愛は精神病だというレッテルを貼られるようになった。キリスト教徒であり教育者であった新渡戸稲造は、「男色は野蛮な行為、精神修養によって抑えなければならない」と説いたという。
 なるほど、それは当時の「脱亜入欧」政策の一貫だったというわけか。同時に西欧化するということは、封建主義的な上下関係を廃するというもので、それは、兄弟分のような情愛関係が成り立たなくなることも意味していた。男色文化は、日本の西欧をまねた近代化の流れの中で廃れていく運命を遂げた。そして、それは、そんな文化が過去に存在していたという記憶さえも消し去る結果を生んだ。
 
 スティーブは、男色の歴史を説明し終わった後にこう、生徒達に問いかけた。
「実をいうと、このことをみんなに紹介したのは、同性愛を知る上で重要な事柄を説明する上で都合がいいからなのだ。よく、同性愛は生まれつきのものであるか、または、生育環境によるものなのかということが原因論として議論される。しかし、その議論に人間の性的志向が社会や文化によって形成されていくかもしれないという推測が考慮に入っていない。それは同性愛者は、少数派で、社会全体の傾向とは関わり合いがないとみられているからだ。
 だが、どうだろう。この日本の男色文化を知る限り、そうだと言い切れるだろうか。近代前の日本では、同性愛は異端とされず、それがために同性愛は大衆文化に溶け込んでいた。そして、当時の日本人男性の平均的性的志向はバイセクシャルだ。もはや少数派の問題ではないということだ。私は、こう考える。人間の性的志向は生まれつきの遺伝的なもの以外に、社会や文化の影響を受け形成されていくものではないかと。どちらかが要因だというのではなく、両方が混ざり合って出来上がっていくものなのではないかと考える。まさに日本の男色はかっこうの事例だ」
 なるほどと、秀生は思った。自分が江戸時代に生まれていたら、どんなに生きやすかったことだろう。スティーブは、さらに問題提起をした。
 また、同様に考えなければいけないことがある。それは、なぜ日本の社会に影響を与えた西洋文明がキリスト教を始め同性愛を忌み嫌うかということだ。

 キリスト教の教えでは、性の戒律は、同性愛に限らず厳しい。性行為に関しては、コンドームの使用、フェラチオのような行為は自然に反する行為とみなされ禁止の対象となっている。それはどういうことかというと、これらの行為は、快楽のみを追求し、生殖の伴わない性行為に当たるからだ。キリスト教では、宗派によるものの、伝統的な宗派では避妊を禁じている場合がある。
 どうしてか。スティーブは独自の理論を説明した。

 それは、性行為は快楽を目的とせず、生殖を目的とすべきと考えるからだ。なぜ、快楽を目的としてはいけないのか。考え方を変えると、セックスそのものが悪であるとみるからだ。考えてみるとキリストの母は、永遠の処女であり、キリストを生んだのも処女懐胎によってと物語れている。それは、理想型として一生涯、性的な行為を行わないことを清きものとする考えが根底にあるのではないからか。
 つまりは全くセックスをしてはいけない。しかし、それでは人類が死滅してしまう。それならば、生殖が伴うものに限ろうと。その結果が、快楽のみが目的の性行為の禁止につながったと考えられる。
 では、またさらに突っ込んだ議論をする。なぜ、西洋文明はセックスをいけないものと考えるのか。
 
 それについては、こういう推測が出来る。西洋文明が「自然への挑戦」を糧として成り立ったからだ。
性、セックスは人間の内なる自然である。人間が高度な文明を築く上で、自然に挑戦し、支配をする上で、自らの自然的な部分を制御することができるようになることが美徳とみなされるようになっていったからではないか。
 宗教を含めた社会で当然のものとされてきた道徳観は、ある種の必要性の結果であると考えるのが、心理学者を含めた学者の信ずるところである。

第32章へつづく。
スポンサーサイト
テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。