小説「世紀末の苦悩」
1990年から2001年までの日本とアメリカが舞台。一人の人間が苦悩から学び解放されていく様を描く。


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東京在住、30代独身男性。



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第32章 ゲイ・プライド・パレード
まずは第1章から第31章までお読み下さい。

 この日のレクチャーは実に刺激的だった。生徒の中には、宗教の話のところできょとんとする人もいた。おそらく、宗教観というのは、アメリカでは日本に比べ政治色が強い面がありレクチャーで採り上げるには内容としてデリケートすぎる面がある。秀生にとっては、勉強になり、励みとなる興味深い内容であった。
 レクチャー後、スティーブは、資料とした本を秀生に貸した。本を読んでレクチャーで採り上げたことをより詳しく、また、採り上げられなかった部分も知ってみてはということで是非ともと読むことを薦めてくれた。
秀生は、下宿に戻ると夢中になって読んだ。かいつまんだところは、レクチャーでカバーしているが、それ以外に、驚きの事柄を知らされた。
 日本の男色は、古代ギリシャの成人と少年の間の性愛と似通うところがあるが、日本の場合違うのは、ギリシャが髭が生えることを少年と成人の境としたことに対し、日本の場合は、元服に当たる前髪を剃ったか、そうでないかで区別したことだ。それにより、仮に年齢が十五とか二十歳を超えても前髪を剃らずにいれば、少年役として通せ、実質的に成人同士の性愛関係になったといえる。
 同じ時代、中国や韓国では、儒教の影響もあり男色は異端視されていたらしく、日本を訪れた朝鮮の特使が、江戸の男色を見て、大変驚いたという記録がある。
 日本社会にも、同性愛を不自然だと説く識者がいなかったわけではないが、それでも、少数である。男色が武家の門下生の間で禁じられたことがあったが、それはあくまで、そのことで、門下生同士が美少年を巡って斬り合うような流血沙汰を防ぐためだったといえる。江戸時代の武家の門下生の間には、よくそんな色恋沙汰が存在して、里美八犬伝で有名な滝沢馬琴も当時の噂話として記録を残している。男色は、都市部だけに記録としては多いとされているが、実際のところ、農村など全国的に存在したと考えられる。都市部には男娼の売春宿などがあったため、記録が多く残っているのである。
「好色一代男」の作者として井原西鶴がレクチャーで紹介されたが、井原西鶴は、それ以外に男色大鑑という男色ものばかりを集めた説話集を書いている。いかに男色が、社会においてノーマルなことと受け止められていたかを象徴するものだ。説話の中には、ある男娼が得意客の妻の要請で、布団に隠れて妻の振りをして、得意客と夜伽をさせられ、それが思いのほか快感だった、という話がある。結婚する夫婦でも、妻が夫の男色に対しては大らかであることを物語っている。
 井原西鶴と同じく江戸の大衆文学として有名なのが「東海道中膝栗毛」だが、この物語に出てくる主人公の弥次さんと喜多さんは、ゲイ・カップルという設定である。そもそもは、喜多が弥次の家の居候であるという設定で、弥次は女房持ちであり、喜多は男娼という間柄なのである。
ただ、成人男性であっても三十を超えるとしないものとみなされ、所帯を持つぐらいの年頃には、関心も薄れていると考えられていたという。現代のような成人男性同士が異性のカップルと同等の権利獲得のため、結婚や養子を取れる資格を求めるといった感覚ではなかったのだろう。

 また、男色に対して、女性同士の女色も存在したという。記録としては男色ほどは多くないものの、女性客相手の遊女の売春宿も江戸の吉原にあったと記録されている。
 この本の著者のLeupp氏は、日本史の専門家として、この人類史に稀にみる男色文化が、同じく人類史稀にみる一つの世襲による統治下で二世紀半以上も、封建制度の下、大きな反乱なく続いたことと関連するのではと推測する。
 江戸時代、飢饉などで庶民による一揆などが、しばしば勃発したものの、それが西欧などの王政を転覆させるほどの革命には至らなかった。それは、日本の封建領主が、庶民に対して生活などの束縛が強くなかったためだと考えられる。特に精神的な満足度にも関わる性に関しては、締め付けは同性愛が容認されたほどに自由度が高かった。そこが、キリスト教が価値観の中心に添えられた西欧との違いだったといえる。
 日本は、古来から自然信仰の考え方が強い。中国や朝鮮から仏教や儒教の影響は受けたものの、古来からの神道を基にする価値観は、八百万の神という言葉に象徴されるように、多神教である。それは、つまり自然のあらゆるところに多種多様な神が宿るという考え方なのである。一神教のような絶対的な存在に平伏すというのではなく、その点が寛大で、自然信仰であるがゆえ、人間の性に対しても大らかに受け止める精神文化が脈々と受け継がれてきたのである。
 考えてみれば、神社などには男女の性器を象った「御神体」と呼ばれるものが堂々と陳列されているのを場所によってはみかける。
明治維新後の、西欧への追いつけ、追い越せのスローガンによる、西洋崇拝は、日本の工業化と近代化に貢献したが、それは、古来からの自然崇拝の文化を弱めていく結果をもたらした。
 自然に挑戦する西洋文明がよかったのか。産業革命以来の工業化が広がることにより、豊かになった面、環境破壊が地球規模で進行している。人間が、もっと自然に目を向け、自然を大切にしなければいけない時期に来たのではないか。つまるところ、我々人間も、自然の一部なのだから。自らの自然を大切にしないといけない。
 同性愛を自然に反する行為と糾弾するが、そもそも、自然な性は、多種多様なのである。これをある一定の型にはめ込もうとするから、とんでもない結果をもたらす。それこそ、不自然な行為ではないか。

 
 秀生は、スティーブのレクチャー、そして、貸して貰った本を読んで、何だか、自分が日本人であることを嬉しく、誇りに思えるようになった。我が先祖は、何という遺産を残してくれたのであろう。
悩み苦しんでいたところを先祖により救われたという気がした。実をいうと、こんな隠された歴史があったなんて。このことをもっと早く知っていれば、悩み苦しむことも、そんなになかったのではないか。
 西洋社会に来て、同性愛解放という考え方を知ったが、しかし、歴史を振り返れば、我が日本の方が先をいっていた、というか。
 あのサムライ、我が日本男児の鑑といえるサムライは、ゲイを嗜んでいた。それも頂点たる将軍様がだ。将軍の中でも、統一日本の基盤を作りあげた徳川三代将軍家光はゲイであった。まさにゲイによって、日本は作られた国家といってもいいのではないか。
そうだ、こんな言葉を叫びたくなった。アイ・アム・サムライ!

 同性愛が論争となっているアメリカだが、そのアメリカは、かつて異人種同士の結婚について一九六〇年代までもめていて、一部の州では異人種同士の結婚を法律で禁じていたところもあった。最高裁で違憲判決が出て、合法化されても社会の偏見は強く、異人種同士、特に黒人と白人のカップルをみかけるのは稀である。
 まさに、ルームメートのバリーとアマンダは、その問題に直面していた。両者の親が反対しているということだ。バリーの両親も反対で「白人の女と結婚すると黒人としてのアイデンティティを失いかねない。黒人男が白人女とやるのは、奴隷時代の復讐をしているようなものだ」となじったという。バリーは怒って、アマンダと同様に親子の縁を切ったという。二人は、もう立派な大人同士だ。婚約を決め、自分たちの結婚を理解し、祝福してくれる人達だけで式を挙げる決心をした。秀生も招待を受けることとなった。
 もっとも、それでも、長年自分を育ててくれた親の祝福を受けられないのは辛いと感じるものだ。アマンダにとって父親はかけがいのない唯一の肉親なのだ。

 だが、思わぬ転機が訪れた。それは、とんでもない事件が二人に襲いかかったことによる結果であった。
 ある日、二人が小さなグローサリーショップで買い物をしていたところに、銃を持った強盗が押し入った。レジから金を出せと要求、店員は金を出すと同時に、警察への通報をカウンター下のボタンを押して行った。それを強盗に気付かれ、店員をその場で撃たれた。パトカーが来ると思った強盗は、アマンダを見つけ、彼女に銃を突きつけ、店外へ逃げようとした。泣き叫ぶアマンダを救おうとバリーは、店にあった缶詰を強盗の後頭部に叩きつけ、アマンダを解放させ二人で逃げ走ったが、強盗はバリー目がけて銃を撃ち放った。バリーは、肩を撃たれて倒れた。強盗がとどめの弾丸を撃とうとしたところを、警官が来て射殺。バリーは、店員と共に救急車で病院に運ばれた。店員は、その後、死亡。バリーは緊急手術の後、一ヶ月後に完治し退院できた。
 この事件でバリーがアマンダを命懸けで救ったことを知ったアマンダの父、ブレイク・キャリントンは、バリーに対し偏見を持ったことを謝り、二人の婚約を心より祝福すると言った。バリーの両親も、バリーの命懸けの情熱を理解し、ここに人種を越えた結婚が、双方の家族から大いなる祝福を授かることとなった。

 結婚は六月に、サンフランシスコの中心にある名門教会グレース大聖堂で開かれることになった。ジューン・ブライドである。アマンダは純白のウェディングドレスを着て父親にリードされてタキシードを着たバリーのところに渡される。荘厳な教会における実に美しい光景を目にできて、秀生は自らがとても幸運に思えた。苦難の末、愛を成就できたのだ。
 式の後、近くのホテルで披露宴をして、その後、リムジーンで新婚旅行へ。行き先はハワイだとのこと。
 全てが終わったのが午後二時半ぐらいだったが、秀生は、背広姿でホテルを出て、何となく街を歩いていたら、メイン・ストリートで大規模なパレードが行われているのを目にした。
 通りには虹色の旗がはためき、「ゲイ・プライド・パレード」と書かれた横断幕を持った人々が、通常は自動車道の大通りを埋め尽くしてパレード行進しているのが目に入った。そうだ、新聞で言っていた。この日は、ゲイ・パレードの日だ。毎年、六月、サンフランシスコやそれ以外のアメリカの都市で一斉に開催されるパレード大会だ。六月には、ゲイ解放運動の発端となった出来事として有名なストーンウォール事件のあった月。そのことを記念して開かれているパレードなのだ。
 パレードに参加している人達は、様々なコスチュームを身につけている。男性が化粧や女装している姿や、筋肉ムキムキの肉体をさらけ出して歩く姿など、実にゲイらしい。ブラスバンドなどの音楽も奏でられてまるで、カーニバルだ。同時にそれを歩道で眺めているギャラリーも、ゲイやレズビアンらしい人々。同性同士で堂々と抱き合ったり、キスし合ったりしている。
 そうか、これがゲイ・パレード。公へのカミングアウトでもある。堂々と目に見える存在となり、自己主張する。自らのセクシャリティに誇りを持っていること、それが異常でないことを訴えかけている。
 考えてみれば、1960年代の人種差別撤廃の公民権運動でも、こんな大行進がされたという。より多く集まれば、これだけ多くの仲間が存在し、これだけの関心を惹いていることのアピールになるのだ。
 長年、こんなことの積み重ねで人々は権利を獲得してきたのだ。

 この場にいて、秀生は、これまでにない解放感を味わった。ゲイのカップルらしい男二人組が数多くたむろしている光景を見て、自分も彼らと同じように愛を分かち合えないだろうかと思った。単なる遊びのセックスではなく、真剣な恋愛を、と突然、自らに要求をしたくなった。
 誰かいないだろうか。そうだ、ある候補者がいる。自分に解放への道筋を与えてくれた男が。彼に会いに行こう。自分も恋愛を楽しんでみよう。せっかくサンフランシスコにいるのだから。

第33章へ続く
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テーマ:BL小説 - ジャンル:小説・文学

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