1998年5月 そして、あっという間に月日が過ぎ、卒業間近となった。必要な単位を全て取得、論文も提出した後、MBA(経営学修士号)の証書が貰えるようになった。成績は平均で、Aマイナスといった感じ。もう一つ、大きな成果を成し得た。卒業後、6月からの日本での就職先が決定したことだ。それは、年始めにサンフランシスコ市内のコンベンション・センターで日本企業による就職フェアが開催され、たまたま、日本人留学生だということで大学の事務所を通して招待を受け、そこで、背広とネクタイの姿で卒業後の新卒採用先になるか期待をして何社かのブースを回った。名の知れた大手から、中小企業まで、その場で面接を受けた。 すると、翌週ぐらいに、その中の1社から電話で連絡があり、その後、再度、その会社の人事担当と市内のホテルの一室で面接をした。そして、その翌週、採用の内定の連絡を受けた。何でも名古屋に本社を置く貿易商社の東京支店勤務としての採用だそうだ。 実のところ、就職先がどんなところであるべきかなどこだわっていなかった。だけど、卒業後、何とか食っていく手段を探さないといけない。とりあえずは普通にサラリーマンをしていくのが妥当だろう。せっかく培った英語力とMBAの知識を活かせるところにしたい。卒業まで時間がなかったため他を当たっている暇などなかったので、あっさり採用を受けた。 さあ、日本に帰ろう。準備に取りかかった。 帰国の前日、結婚1年目のバリーとアマンダが、フェアウェル・パーティをキャリントン邸でしてくれた。アマンダは妊娠中で今年中に第1子が生まれる予定だ。豪勢な料理が出され、その上、アマンダの友人の歌手が見事な歌唱力で「I left my heart in San Francisco.想い出のサンフランシコ」を歌ってくれた。さまざまな人々と出会い、想い出を与えてくれたサンフランシスコに我が心を置いて去っていく心情を詠ったものだ。 まさに、フェアウェルにはふさわしい夜だった。